者帯駮刃-駮刃を持つ者-1

天下の動きが良く見渡せるように、と、呉の城下町が眺められる高台に、記念の石碑は建てられた。
美しい装飾や彫刻のなされた石柱の前に腰掛け、杯に注いだ酒を供えた。
朝露が滑らかに磨かれた石の表面の、「討逆将軍」と彫られたくぼみを伝いながら流れるのを見て、太史慈は目を閉じた。
もう、彼の慕った主がいなくなって、1年も経つ。よくもまぁここまでやってこれたものだ、と自分でも思う。
これも周瑜が良くしてくれたおかげだ。彼に感謝しなくてはならない。
それにしても、彼が死んだから、と離反の疑いをかけられた。
呉を捨てて、魏に帰れるとでもいうのか?
未だ、彼の死を受け入れられない身が。
太史慈の口が、笑みに歪んだ。
楽しみとか、喜びとか、そんな笑みではない。哀しみ…―――
不意に聞こえてきた、馬の嘶きと重いひづめの音に、軽く目尻を拭って太史慈は立ち上がった。
「……帰るか……子義」
「あぁ」
背後から聞こえた声に頷き、太史慈は声の主―――周泰が馬から降りたのを確認した。
何も言わずお互い近付いて、手を伸ばせば届く距離で止まった。
「……子義…」
字を呼ばれて、初めて周泰の顔を見る。
瞳に何かの感情を宿らせ、彼はじっと太史慈を見つめていた。
「何か、言いたげな顔だな…幼平」
「…………」
ぐっと力強く唐突に、周泰は太史慈を抱き寄せた。何の抵抗もなく、太史慈は腕の中に収まる。
「大丈夫だ、幼平。心配するな…伯符様を追って死のうなんて考えてない」
「……そうか…」
どうしても信じきれなくて、周泰は離れようとしなかった。
「孫権様の天下を見るんだろ…死ぬわけにはいかないんだ。第一、俺が死んでも伯符様が生き返るわけではない…幼平がそう言ってくれたんだろう」
太史慈は周泰の肩ごしに、深く生い茂る森を眺めた。
遠くを虎が、横切った気がした。




目の前が、急に暗くなった。
直後のがらがらとけたたましく、書簡が地に打ち付けられた音に、目を開いた。
なぜ、倒れている?
手足は力が入らず、立ち上がろうとしても…立てない。
石碑に参ってから、周泰と別れて仕事を始めた。書簡を持って回廊を渡っていた時だった。
幼平、とそこには居ない名を呼ぼうとした。その時、胸の奥を強く握られるような、強烈な苦しみが襲ってきた。
「………ッ!!!」
出てくるのは呻き声、それだけだった。
声を出そうにも、あまりの苦しさに息もできず、意識が薄れていく。
瞼が重くなり、目を閉じる瞬間、太史慈の腕を掴んだ者がいた。




戸を勢いよく開けて駆け込んだ周泰は、寝台に横になる太史慈の姿を確認した。
彼は眠っている。
傍に控えていた軍医は、周泰をちらりと見ると説明し始めた。
「…将軍様。太史将軍は名も原因もわからぬ病でございます」
「…………」
「ただ、精神的なものではないかと踏んでおります。しかしもしかしたら…命に関わるかもしれません」
それでは殿に報告を、と軍医は出ていってしまった。
先程の言葉に、何も言えず周泰は寝台の横に座り、その寝顔を眺める。しばらくするとうっすらと目が開き、その瞳が周泰をとらえた。
「……幼平…?」
「………倒れたと聞いて…すぐに来た。さっき、来たところだ……」
太史慈は怪訝な顔をすると、寝たまま軽く首を捻った。
「…幼平が運んでくれたんじゃないのか?」
「……?何を言っている」
「…………」
何も言わなくなった太史慈に、周泰は彼の髪を撫でながら、さっき来たのだ、ともう一度伝えた。
「…疲れて…いるのか…?」
「いや…」
顔を背けようとする太史慈に不意に上半身だけ覆い被さると、周泰は重ねるだけの口付けをした。
「………幼平」
少し離れて、間近で見つめてくる周泰の顔に手を添えると、太史慈は周泰の左目に刻まれた傷を指でなぞった。皮膚が修復しきれなかった、ざらざらとした感触。まるで周泰を確かめるかのように何回も指を滑らした。
名もない感情に突き動かされて、躰を合わせるような関係になったのは、孫策が死んですぐの事。責任を感じて自ら死のうとした太史慈を、思い止めさせ、立ち直らせたのは孫策自身と周泰の言葉だった。
それからしばらくして、周泰は名もわからぬ感情にどれだけ振り回されただろうか。結局の所、今の太史慈との関係に一応、落ち着いている状況だ。
何故、こんなことになる?
太史慈の指の暖かさに心地よさを感じながら、周泰は原因を探した。
その思索を断ち切るものがあった。
「…太史慈、大丈夫か?」
軍医が連れてきたのだろう、扉の外から孫権の声がした。
「太史慈殿、入りますよ?」
陸遜の声も聞こえ、周泰は身を離した。太史慈も体を起こそうとするが、力が入らず身じろいだだけに終わった。
扉が開き、2人が入ってくる。
「無理をするな太史慈。そのままでいいから」
孫権は周泰に席を譲られて、太史慈のすぐ傍に座り、顔を覗き込んだ。
「太史慈殿が倒れるなんて……」
「…申し訳ございませぬ…」
「いや、いいんだ。疲れているのだろう?」
太史慈は首を横に振った。
「…体が、重くて……」
こころが、と彼の口が動いたのを見て、周泰は礼をすると部屋を出た。
あの部屋にいた全員が、原因は一つしかないと確信していた。





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