桜酒


「あ、殿、この下なんかどうですか」
「…………む」
この庭一の枝垂れ桜。それを指差して、左近は手に持った酒の入っている瓢箪を、主に向かって軽く持ち上げた。
しかしその主、三成は左近の方を見ていなかった。
首を傾げ、左近はもう一度、
「殿、この枝垂れ桜はいかがですか?」
三成ははっとして、左近の方へと目を向ける。いつもの癖で眉をしかめ、しかし足は左近へと進められる。
似合うねぇ、と左近はふと思う。桜満開の中をいつもの鎧姿とは違う、墨色の着物を来て歩く姿。色の薄い茶色の髪、その上を桜の花弁がさらりと撫でて落ちていく。しかめっ面も次第に解かれていって、左近の好きな綺麗な顔に。
しかしその視線は、先程から時折何かを気にするようにちらちらと後方に向けられている。
「……どうかしたんですかぃ?」
「………いや…」
巡らせた視線は左近を通り越し、枝垂れ桜へ。
なかなか素直になれないこの主は、左近が三成をじっと見ている時は目線を合わせようとしない。
―――そんなところがまた、左近の『追う恋』を加速させるのだが。
「美しいな」
感情の伴わない、単純な記号。
「本当ですか?」
「本当だ!」
むきになって言い返す、その仕種がまた―――
「そうですか、じゃぁ賑やかに、この桜の下で花見酒、といきますか」
「………あぁ」
乗り気のしない返事。左近は不意に三成の顔を覗き込むようにして優しく微笑んだ。三成はやはり目線だけ逸らして俯いた。
「殿でしょう?花見酒に左近を誘って下さったのは」
「………」
「その殿がどうしたんです、気が変わったんですか?」
「いや、………」
こういう時、左近は辛抱強く待つ。子供のように、しかし逆に大人であるがために、自分が思っていることをなかなか口に出せない三成。そんな彼に触れようとして、やめた。
左近の手が不自然に宙を薙ぐ。
このむつかしい主は、触れることもためらわれる。
三成の性格は知り尽くしているつもりなのだが、こうも感情が表に出てこないと流石の左近も不安になった。

触れてもいいだろうか
抱き締めてもいいだろうか
そうして嫌われてしまったら、困るじゃないですか。
「臆病だねぇ……」
つい口に出してしまったら。
「……!!な、左近、俺が臆病とでもいうのか!!」
「っつ?!」
しまった
その言葉は、自分に向けてのものだったのに。
慌てて口をおさえた左近に、また。
「っっっ!!左近!」
「いやいやいや、殿、間違いですから!!」
なんという不注意か。また厄介なことになったぞ、と思いつつ。そっぽを向いてしまった愛する主に、左近はやはり、どうしても触れられない。
心はその肌の、もっともっと奥にあるというのに。
心に触れることができるのは、一体いつの話になるのやら。
言っちゃ悪いが、女よりも苦労する。この男。
そこがまた女より良いんだと心の中で叫んで、左近は自分を呪う溜め息を吐き出した。
さてどうしたものかと、まるで戦で策を錬るのと同じものを感じつつ、ふと顔を上げて三成を見れば、三成はそっぽを向きながらもちらりと左近を見ていた。左近の視線とぶつかれば、慌ててその目を閉じる。


その仕種に、左近の何かは揺さぶられ…

くぁっ……駄目だ駄目だ、理性理性理性。しかし触れて抱き締めて口付けしたい衝動は抑えられず、わきわきと手は動く。
「さっ…左近……?」
何か危険な気でも察知したのか、三成の引き攣った顔が左近を見やる。
ぜぇぜぇと肩で息をしつつ、左近は謝るように片手を上げた。
「す、すいません殿……さっきのは、自分に向けた言葉なんですよ」
「………?」
こんなことでせっかくの二人の花見酒がお預けになるのは勘弁だと、左近は全て話すことにした。
三成はそういう左近の話を一心に聞くべく、耳を傾ける。

あー、その顔、その顔が左近は大好きなんです。
いつものようにむすっとした、他人を見下す顔ではなく、その素の顔が。

「……殿、臆病なのは左近の方です」
「なんだと?いつも不遜な態度をしているではないか」
あ、こんなところで嫌味いいます?殿。
「あー、っと、なんというか…戦場の話ではないんですよ。殿の本心も聞けないような……触れられもしないような、そんな臆病、のこと」
『貴方に嫌われそうだから』、とか言ったら、どんな反応をかえすだろう
「………そんなことを思う必要はない」
「は…?」
「そ、それは俺のせいだからだろう!俺は左近を嫌いなどせぬ!」
三成はずかずかと左近との距離を縮めると、左近の手をとって、一瞬躊躇して、自分の頬に触れさせた。
赤く険しい顔で、三成は左近を睨み付ける。迫力のないそれで。
「お、俺のせいでいらぬ心配をかけさせた。すまない」
「は、はぁ…」
「しかしっ、ほら、こうやって……触れれば良いではないか…」
むつかしく、しかし面白いこの御仁は、また表情とは裏腹な嬉しいことを言って下さる。
だが知らないうちに、先程の『嫌われそう』発言が口をついて出ていたらしい。左近は真剣に自分の口を心配した。
しばし口をつぐんで、何かを考えていた三成はぱっと左近の腕を放し、先程からちらちらと見ていた後方の一部を指差した。
「ただ……あの桜」
そこには、庭に咲き誇る花に混じって、しかしどこか寂しく、庭の隅で独り咲く細い幹の桜が。
「賑やかな酒宴は、秀吉様がお作りになる『皆が笑って暮らせる世』でいくらでも開いて下さる」
「……殿」
「だが今は…せ、せっかく左近と二人なのだから、静かに酒を酌み交わすほうがよいと思っただけだ!」
華やかな枝垂れ桜ではなく、静かに、しかしどこか自信溢れて咲くこの桜の木の下で。
殿らしいなぁ、と思う。左近は三成の腕を取ると、その桜の方へと引っ張っていった。
「じゃ、そっちにしましょう殿。……はじめからそう言って下さいよ」
「……左近が、あの枝垂れ桜がいいと言ったから、言い出せなかった」
この人なりの、気遣いか。
「いつも左近には俺の我儘に…つき合わせているからな」
「そんなことありません。殿が良いと思うことなら、それは左近も良いと思っていることです」
もう、触れることもためらわない。
左近は桜の木の下で、三成を引き寄せるとその額に口付けを落とした。

桜の下で、花見酒。
花弁の雨、その中二人で静かに酒をのむ。
「綺麗ですねぇ」
「ああ、良い歌ができそうだ……」
三成はよく歌を作る。趣味、らしいが。
何となく左近は三成の作った言葉の流れが好きだった。
「連歌、を知っているな左近」
「ええ、複数人で句を繋いでいくやつでしょ?」
「そうだ、ああ、今なら良い歌ができそうだ、左近と二人でなら……連歌も」
ほろ酔い、三成はそんなことを言った。
左近といえば、やまとうたのような、三十一文字の中に言葉を詰めて意味を持たせるという作業はあまり得意ではなかったのだが。
なんせ、含まれた意味がわからない。
得意ではないが、頼まれればやるしそれなりの腕を持って……いると思う。
「連歌ねぇ……そうですね」
三成がそう言ってくれるのならば。三成と二人ならば。
「桜、桜を題にしよう」
戦と戦の間の、微かな小休止。

……あまりツンデレっぽくない…三成…






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