焦<こい>


「スイテオル」
「……………………」


貴様、どこで覚えたその言葉


半蔵は机を挟んで向かいに座る赤毛の男の顔を、眉間に深く皺を刻んで、胡散臭そうに見た。
あぁ、また笑うておるわ、この男
彼、風魔は何度か同じ言葉を楽しそうに笑いながら繰り返す。
「半蔵、スイテオルスイテオル」
「………………」
まさしく彼は新しく覚えた言葉を意味もわからず使っている子供そのものではないか。何が可笑しいのか、微笑みながら……
半蔵は肺の底から大きく溜め息を吐き出すと、ものを書いていた手を止め筆を硯に置いた。自らの伊賀忍軍の状況をまとめたものだったが、風魔がこんなものに興味など持たないことを知って堂々と書いていたのだ。大体、今徳川家と北条家は同盟関係である。
だからこそ、いやそうでなくとも、風魔がここにいる。天井裏から侵入したとはいえ、半蔵の私室に。
何か、何か言ってやらねばならぬ
そんな気になった。
「……風魔、その…」
「先程、本多忠勝がそう言っておったのだ」
人が話そうとしているのを、平気で風魔は言葉をかぶせてくる。
「<半蔵、好いておる>とか」
「……………はぁ?」
自分でも驚愕するくらい、情けない声が出たと思った。
半蔵は混乱する頭を整理するため、じりじりと嫌な痛みに襲われかけているこめかみの辺りを押さえた。
風魔が来たのはつい先刻。その途中で忠勝の部屋の上でも通ったのだろう。その時に聞こえたのか、この一言が?
その場に半蔵がいるわけがないのだから、壁に向かってでも言ったのだろうか。端から見ればかなり怪しいおっさんである。
半蔵は机に肘を付くと、がくりと項垂れた。風魔は面白そうに半蔵を見ている。
「よかったなぁ半蔵、スカレテオルのだなぁ」
「…………滅」
よもや、このような形で忠勝の心を知ることになろうとは。
あぁどうしようと思っていると、風魔の冷たい手が半蔵の頬を撫でた。
「……半蔵、人は人を<好く>と如何なる?」
「……………」
まったくこの男は何を聞いてくるのやら。しかしこの男が人にものを尋ねる時は、答えが出るまで引き下がることはない。
「我にはわからなんだ」
「………」
頬を撫でる手は、優しい。それによって幾分近付いた風魔の顔から目を反らし、言葉を選びながら呟くように。
「……身が焦がれる思いが致しまする」
「ほぅ、それで?」
「想いを伝えとうなりまする」
「……次は?」
「そのために、その人に会いとうなりまする」
「…………」
急に押し黙った風魔は、幅はあるが奥行きのないその机の向こう側で、不意に半蔵の唇に自分のそれを寄せた。
「……ん」
半蔵は敢えて目を閉じなかった。半蔵の口を割り、風魔の赤い舌が口内に侵入してきた。舌を追っては、吸う。
「ぅ…ん……」
息が上がって来て、苦しい。こんな口付けも嫌ではないと自覚しながら、焦点は合わないがぼんやりと見える風魔の目の青色を眺めていた。
―――どれくらい経っただろうか。随分としつこく口内を蹂躙していた風魔の舌が、漸く離れていった。


己とのこの奇妙な関係は、彼の口癖でもある<座興>にすぎないだろう


ならばどうしてこの男は口付けなどしてくるのだろう。
ぼうっと考えていると、風魔の「つまらんな」という言葉に我に返った。
気まぐれな風魔の言葉、座興の一言で片付く行為、何をどこまで見ているのかわからぬ瞳。
「つまらぬか」
「あぁ、つまらぬ」
ならばと今度は半蔵の方から唇を寄せた。風魔の眉がすいと上げられる。気恥ずかしいので、半蔵は目を閉じた。
一体自分は何をしているのだろう。頭の中は真っ白だ。
自分が何をしていたとか、彼がどうしてここにいるのかとか、忠勝がなんと言ったのかとか、全てがどうでもよいことのように思える。
理由も原因も結果も言い訳も、全部溶けて一緒になって、わからなくなる。
風魔が触れたあとは、混沌しか残らない。


そちらが座興というのなら、こちらだって気まぐれだ


重ねるだけの、否、掠めただけの、軽い口付け。
風魔の唇が、笑みに歪められたのを感じた。
阿修羅を象る編み込まれた赤い髪も藍のけわいも、たとえ人が<人外>と称しても、半蔵は嫌いではなかった。
「…半蔵、つまらんなぁ」
「………」
「つまらんと言うておろうが」
風魔の何か企んでいる顔。言葉の意図するものを感じ取った半蔵はぱっと身を引いた。
「っな、も、もうせぬわ!」
「なんだ、つまらぬなぁ」
また、そんな顔をして笑う。半蔵は胸を鷲掴みにされた気がした。
戦場とは違う、柔らかい笑み
「半蔵、<好け>ば口付けもしとうなるか」
「………?」
「抱きしめたいと、触れとうなるか」
「………」
「独占したいと、連れ去りとうなるか」
「し、知らぬ……」
無表情ではない、真剣な顔付きの風魔に気圧され半蔵はついその質問攻めから逃れた。
しかし風魔はそれを肯定とでも受け取ったのか、満足そうに一回頷くと、また半蔵の頬に触れてきた。
「そうか、そうならば我もそうであるのだな」
一人納得したような風魔に、何がと半蔵は心の中で問う。
「風魔は身の焦がれなど感じぬ。だがそれ以外は…同じ」
ぐいと上を向かされ、視線を嫌でも合わせる。
「我が混沌には…うぬしか要らぬ。半蔵」
風魔の口が、耳元で。


「半蔵、好いておる」


半蔵が目を丸くして息を飲むその頃には、風魔は一条の風を残し、消えていた。
「……不覚」
暫く固まったままだった半蔵は、報告書を端に追いやると机に突っ伏した。
「………不覚なり」
半蔵は上気した顔が早く冷めることを祈るだけだった。
今度は、座興ではなかったのかと聞いてみるのもいいかもしれない。

まずは満足(島津)
あまいあますぎるあますぎて困っちゃうよ小太半完成






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