御国の彼方



夢か、現か、幻か  それはそれは、突然に


「半蔵」
徳川の、光
「……忠勝」
徳川の、影
二人は雷光を背に一人の男を見下ろしていた。
「………ッ!!!」
男は、悲鳴にならない悲鳴を上げた。
雷鳴、ひとつ。二人の顔は薄暗くどんよりとした光の中、雷光の逆光となり見ることはかなわない。
そのふたり、徳川の守護神本多忠勝と懐刀服部半蔵は、二人だけで領内の賊を蹴散らしていた。
雷鳴、またひとつ。
「……………」
「……………」
三人の、沈黙。雷鳴。精神の限界に達していた男は、賊の頭領だろう、何か喚きながら土下座をすると一目散に駆け出して、消えていった。
「半蔵」
「忠勝……嵐が、くる」
雷鳴、またひとつ。


盗賊どもが撤退してから、二人は古びた小屋にいた。嵐が近いのか、嫌な空気が体に纏わりついてくる。
しかし本拠地へかえるのには、ここは遠すぎた。必ず途中で嵐に遭うだろう。
「半蔵、しばらくはここで嵐が通り過ぎるのを待つぞ」
「承知」
村のはずれの、小さな木製の小屋だ。雨をしのぐ程の強度はある。
「…………」
「………」
お互い、不快のない沈黙。
ひゅうと、風が通り過ぎる音がし始める。
がたがたひゅうひゅう
「…………半蔵」
「何」
「少し、おかしい気がする」
忠勝が言うように、その嵐はどこか違和感があった。半蔵も少なからず、そう感じていた。
理由はわからないが、妙に体が重く感じる空気だ。
「半蔵」
「……………」
忠勝は、半蔵を引き寄せてその膝に座らせるように腰を下ろした。壁に背を預け、半蔵を抱き締める。
仕事が一段落して、思いがけず想い人の半蔵と二人きりになれたのだから、今は外の嵐になど気をかける必要はない。
「た、ただかつ」
少し動揺した半蔵が、忠勝を上目遣いで見やる。
向い合せになるよう体の向きをなおすと、いつもは程遠い半蔵の顔が、少し近付いた気がする。
実際近付いた半蔵の顔から覆面を剥ぐと、整った顔がむき出しになった。
忠勝がそれに微笑を浮かべると、半蔵は目を逸らす。
忠勝の笑顔に、半蔵はめっぽう弱かった。常日頃厳しい表情の忠勝が笑うと、見慣れぬせいか鼓動が早くなる。
これでも、半蔵のこの反応は大分マシな方だ。つい最近まで、身を離し、顔まで背けていたぐらいだ。急に目の前から消えたこともあったか。
「我の顔など見ても……」
こうやって忠勝から触れてくることなど、滅多にない。
加えて、半蔵は自分の顔など嫌いだった。
忠勝とは違い、傷だらけ。
全くの正反対、なのだと思う。光と影、無傷と創痍
だからこそ、抵抗がある。
「何、気にするな」
「気にする。我の顔は醜い」
「一人でそう思っておれ」
忠勝の笑みは、崩れぬ。
半蔵が目を合わせたその刹那、閃光が二人を―――いや、小屋をまるまる包み込んだ。
「?!」
二人がお互い何か、驚いて情けない顔をしただろうが、光によって見えなくなる。
雷光ならば、こんな小屋の壁を無視できる程の凄まじい光が発生したことになるというのか。
「はん―――!!」
忠勝がほとんど聞こえない声で咄嗟に呼ぶと、その体を抱き締めて目を閉じた。
音は、しない。
ぐらりと小屋が揺らぐ。



「おい、半蔵……」
普段触れる機会もない忠勝の体から名残惜しげに離れ、半蔵は目を開くと開け放された小屋の扉の外を見て驚いた。表情には出ていないが。
うっそうと木々が生え、獣道がすうと奥へと伸びているのが見える。
こんなところには、いなかったはずだ。
「……ここは」
忠勝が外に出る。怖じた風もなく、忠勝らしい。半蔵も続く。
「………何処」
茂る緑の中、二人はただ立ち尽くす―――と、その前に一匹の兎が姿を現した。愛らしい赤い目が、半蔵をじいと見つめていたが、すぐにそれは生気を無くした。
「!!!」
今まで聞いたことのない兎の最期の叫びが、静かな森の中に響き渡る。
その小さな体に、矢が突き刺さったのだ。
「半蔵!」
「………」
忠勝はすぐに半蔵を見遣るが、半蔵は別の方向を見ていた。
忠勝からは見えぬだろうが、木の影に―――いや半蔵からは丸見えだったが―――誰かいる。
赤染めの鎧、しかし派手すぎず。武田のあれを思い出すが、その男の持つ弓は稲姫のものとは違い短い作りだ。先程の矢はこの鎧男のものらしい。その目は、忠勝のほうを向いている。
半蔵は仕事柄、忠勝を守るように鎖鎌を構えた。
ふとその男が半蔵の視線に気付いたのだろう、半蔵の方向を向くとその殺気に一歩退いた。
見たことのない鎧、人、雰囲気。その男も武器をとり臨戦体勢に入る―――と思いきや、
「――――――!!!」
半蔵の顔―――先程の戯れで覆面の外れた―――を見ると、その目を驚きに見開き何か叫んだ。
しかしその言語は理解できぬ。
「な…これは、我らの国の言葉ではないのか」
「では……」
その男に気付いた忠勝は、敵意の感じないこの男に溜め息をつくと、半蔵の武器の構えを解かせた。なんの状況も理解していないこんなところで、無用な戦いは避けたい。
こちらのちょっとした会話を聞いていた鎧男も、小首を傾げている。お互い、自分とは何かが違うと感じ取ったらしい。ただ共通なのは、<どうしよう>という空気が三人の間を流れたことだった。
しばらく両者とも動かず。
「―――(困)」
鎧男はまず腕組をして、困った表情をした。そして二人を指す。
「これは、困っているということだろうか」
「我ら、二人が」
半蔵が一応頷いた。なんとなく言いたいことはわかる。
すると鎧男はすたすたと森の外から光が差し込む―――森の出口に歩いていくと、立ち尽くす半蔵、忠勝においでおいでと手招いた。
「行くしかないな」
忠勝が迷わずついて行くその後ろを、半蔵も小走りで追った。


どうやらここは、日の本でもなんでもない、異世界のようであった。にわかには信じられぬ。
森を抜ければ目の前に城下町が広がる。奥には立派な城が建っていた。高くはなく、横に広い。
その都の様子はどこか見覚えがあった。京だ。しかし建物が違う。先に述べたように、構造が違う。
どこか大陸の雰囲気がする、異世界―――
「……………」
「……」
徳川の光と影といえども、この状況には絶句した。
鎧男は構わず街の中を突っ切るのかと思ったが、二人の姿があまりにも目立つのと、二人の武器が物騒なのとで城壁の外を回るらしい。
時折鎧男は忠勝の姿を見ては首を傾げ、半蔵の顔を見てははにかんだ。
この男は、人当たりの良さそうな優しい顔つきをしていた。眉は太く、目は大きめだ。背は半蔵と忠勝の丁度間。
この城は、この鎧男の仕えるものの居城なのだろうか。
「半蔵、このままこの男の主に引き出され、曲者として処刑でもされたらどうする」
「………滅」
半蔵はふっと溜め息をついた。鎧男の反応からしてその未来はあり得なさそうだったが、可能性はある。
その時はその時だ。できるかぎり戦って、死ぬまでか。もしそうだとしたら、あの賊に討たれたと噂が立つだろうか…
「この世に戦はあるだろうか」
「知らぬ」
忠勝は、動じていないように見えた。今の状況を全て受け止めて、前へ前へと進んでいく。
やはり忠勝は忠勝だった。
「どのような状況でも、戦う覚悟だけはしておけ」
「承知」
そう話しているうちに、城の裏手へとまわってきたようだ。隠し通路から城内へ入る。
そこからどう通ったか半蔵は記憶しつつ、大きな扉の前で制止の動作を受けた。
謁見の間、とも言えば良いか。
二人は従い、鎧男は頷くとその扉の奥へと消えた。
「不安だな」
忠勝のぼそりと言ったその言葉に、半蔵はこれでもかという程驚いた。表情には出ないのだが。
「忠勝からは一生……聞けぬ言葉だと思っていた」
「ふ……そうか」
再び閉じられた扉。その奥で何が行われているのか―――
と、いきなり凄まじい音をたててその扉が開かれた。中から先程の男とは違う、少し若めの顎髭を生やした目を輝かせて飛び出してくる。
「――――――!!!!!」
なにか嬉しそうに叫んでいるが、このあまりの暑苦しさ…元気の良さに二人は一歩引いた。
音に驚いてか隣の部屋から慌てて顔を出した、まだ十代後半の若者が、忠勝の顔を見ると手にしていた竹巻を取り落とす。
「!!!!」
その―――へそを出した―――少年は、ただちにその部屋へ引っ込むと、今度は分厚い本を出してきて、顎髭の男に突き出した。
「――――――!」
「――――」
「―――!」
その後から鎧男まで参加してきて、三人で何か論じているようだ。
「なんなのだろうな…半蔵」
「………む」
取り残された感が二人を襲い始めた頃、へそ出し少年がその二人に気付いて書物の一頁を二人にも見せた。
「……これは」
「『護鬼』?」
その頁には、なるほど忠勝のような、鹿の角を模した兜を目深にかぶり、大きな槍を持ち、鎧でがっしりと身を固めた大男が墨で描かれていた。
その男の傍らに、「護鬼」とかかれている。
「忠勝だ……」
「…半蔵……しかも漢字だぞ」
「……護…呉民……孫…堅……時、難…?」
「――――――!!」
本を指した指を忠勝に向け、興奮したようにへそ出し少年は何か叫んだ。
その声によってか、別の部屋から庭からと、わらわらと人が集まってくる。
小姓のような少年から、重鎮であろう年配者まで―――
半蔵と忠勝からしてみれば、わけのわからぬ言語で四方八方から攻め立てられ耳を塞ぎたいくらいであった。
「……ただ…かつ…」
「疲れたな」
涼しい顔で、忠勝は呟いた。
「………異風の御仁よ。お困りのようかな?」
わいわいがやがやと騒ぎたつこの人込みの中で、静かな―――忠勝と半蔵にもわかる言葉が、二人の耳に届いた。

はじめのシリアスさは、もうどこにもありません!







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